2011/11/16

母国語を忘れてしまった彼

明日は、年2回行われているアフガニスタンとその周辺国の援助飛行とは別に、随時補足的に予定されたミニアインザッツ(援助飛行)が行われる。平和村のアフガニスタンのパートナー団体関係者がヨーロッパを訪れているということで、それに便乗して治療が終わった子どもたち9人が母国へ帰られる。
長い子どもで2年と3ヶ月、ドイツで治療生活に励んだ。
今夜はどんな思いでベットに就いているだろう。

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先日、退院してきたN少年。

足の治療のために今年の2月の援助飛行でドイツへやってきて以来、9ヶ月間に及ぶ入院生活を送った彼。その彼がドイツで得たものとは・・・・かなり流暢なドイツ語。
言語習得の基礎は4~5歳までと思っていたので、彼の9ヶ月間の獲得ぶりに驚いた。
平和村の子どもたちは、一応はドイツ語は理解し実際に使うとは言っても、村での生活ではかなり使用言語が限られるし、なんせ「村の子ども言葉」になってしまい、正確なドイツ語とは言い難い。けれど、病院での入院生活が長い子どもほど、実際にドイツ社会で使われているドイツ語を耳にし話すことが必然的に多くなるので、正確な言語が獲得できる。
N少年の場合、ドイツ入国から子どもたちの暮らす平和村に来ることなく空港から直接担当病院に運ばれたので、まったく「村言葉」や「村の習慣」に接することがなくドイツ社会に入った。

9ヶ月間、病院で快適な(?)生活を送っていた彼を待っていた平和村での生活は驚くことが多くて、その現実を受け入れるが難しかったのだろうか、彼は退院した当日、ずっと泣いて過ごしていた。
何が驚くことかって、
①色んな国の子どもがいる(変な言葉を話すし、肌の色がそもそも違う) 
②腕がない子どもや指がない子どもがいる 
③何でも自分でしないといけない 
④せっかく手術が終わり病院から出られるのに、家族に会えない 
などなど色々と泣きたくなることはあったのだろう。

けれど、一番辛いのはどうやら自分が母国語(ダリー語、アフガニスタンの公用語のひとつ)を忘れてしまったため、かといってドイツ語はうまくすぎて他の子どもが理解をしてくれないために孤独を感じていたことだろう。

退院当日の夜、泣くN少年を囲んで子どもたち数人と大切な時間を持てた。
そこに集まったのは、タジキスタンの子ども2人、ウズベキスタンの子ども3人、アフガニスタンの子ども1人、そしてアルメニアからの子ども1人だった。

普段は言葉でうまく通じ合えないから、どうしても力ずくで相手を負かせようとしたり、物を奪いあったりすることがよくある子どもたちも、泣いたNを前にうまいとは言えないドイツ語で「泣くなよ、ここは楽しいよ」と励まし合っていた。こういう光景を目にすると、私も黙っていられず;

 N!泣いてばかりいても、何も始まらないよ。Nはすごいよ。病院でのたくさんの手術にも耐えられて今ここにいるんだし、病院でたくさんドイツ語も覚えたもんね。アフガニスタンのお父さんやお母さんに早く、この足を見せてあげたい。自分で歩けるもんね。
ただね、国に帰るまでの間、平和村でその日を待たなければないの。けどね、そういう子どもはN、あなただけじゃないんだよ。
見て、この子。Eはね、タジキスタンからおしっこの病気できたんだよ。ドイツ語はまだまだ全然なのに、私がドイツ語でしかってもちゃんとわかろうと努力するんだよ。それに怒られても次の日には素敵な笑顔で笑ってる。
そしてね、アルメニアから来たV。彼はね、この村で唯一アルメニア語を話す男の子なの(平和村には現在、2名のアルメニアからの少年がいるが、もう一人は長いドイツ滞在で同じく母国語を忘れてしまっている)。ドイツ語も今少しずつ習ってるけど、まだあなたみたいにはたくさん話せない。それでもたくさんここで友達を作ってるよ。この前帰ったアンゴラの子どもたちともたくさん遊んで、いいお別れをしたんだよ。大丈夫、今日は辛くても、明日は絶対楽しく遊ぼうっ!

となだめた。その後すぐには泣きやまなかったけど、次の日には笑顔で挨拶をしてきた。

平和村の子どもたちは、親から離れて生活をするし、学校に行けない時期を過ごすことになるけれど、世界の他の国から来た同じように体に病気や怪我を抱えた子どもたちと出会い、大切なことを学んで帰るのだと思う。そんなかけがえのない時間を共有させてもらえて、子どもたちに感謝したい。
そして、Nは明日のミニアインザッツでアフガニスタンの両親の元へ帰ってゆく。
帰国前の子どもたち(2011年8月)
写真:ドイツ国際平和村
 
元気でね!



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