2012/06/24

薔薇の島で”Jawort"

 


そういえば、どなたかのブログからこんなYoutubeの映像を発見。

そうです、私たちが挙式をおこなった薔薇の島ですが、バイエルン王ルートヴィッヒ2世が恋人シシィと過ごした場所でもあります。この映像はその2人の悲しい恋の物語を写した短編映画(5分弱)。というより曲に合わせて、薔薇の島が堪能できる映像です。

この映像を見ると、やっぱり結婚式を思い出す。
ちなみにタイトルのJawortですが、
ドイツ語の Ja =はい と Wort =言葉 を組み合わせて、結婚の誓いの言葉をさします。
「ほにゃらららら~と誓いますか」  → 「Ja」 
ということで、 Ja-wort

Jaが日本人にとって簡単な発音でよかったと改めて感じたのでした。

2012/06/21

異文化理解 -人間はサルから進化した?-

平和村での研修も大詰めを迎えている今日この頃。

私は、6~15歳までの男の子の部署に最初に配属され、その後、村に滞在する男の子の人数が膨れ上がり、9歳以下と10歳以上の部署に分かれてからは、10歳以上の男の子の部署で働いた。

大きな男の子のお世話をするにあたって大変なことは、たくさんあるけれど、働けてうれしいことは、何といっても彼らが夜ベットに就くまでの自由時間で色々と話ができる時間が、他の年齢の子どもに比べて多いこと。

今日は、そんな彼らとの就寝前の時間中に起こった事をつづっておこう。

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夜8時。
子どもたちが暮らす三階建ての建物の二階までの子どもたちの就寝時間がやってきた(一番大きな男の子たちは、建物の最上階におり夜9時まで起きていてよいことになっている)。
いつも通り、子どもをベットに送っていると、ある子どもに聞かれた、
「Saki、人間は昔、サルだったんでしょ?」


私は、何をいきなり!と思いつつも、「そうよっ」と当然のように返答して、隣の部屋へと移った。
再びさっきの部屋に戻ってみると、また同じ質問をされたので、 【人間は猿から進化した】ということを、実演付きで説明したら、その部屋の住人の一人ウズベキスタンの少年に泣かれてしまった。

涙を目に浮かべ必死にこらえながらも、「そんははずはない」と。


そして、別のアフガニスタンの少年も、半信半疑で私のくどい実演に目をやる。
ドイツ語が達者な彼は、コーランにそのようなことは書かれていないし、コーランの内容を教えてくれる先生からも、親からもそんなことは習っていないから、信じられないということを話してくれた。
 

その直後、大雨&暴風。


「ほら、サキ(がそんな変なこというから)、アッラーが雨を起こしたんだ」と。
平和村で暮らす子どもの約半分、もしくは半数以上はアフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタンなどのイスラム教徒が国民の多数派を占める国から来ている。

そんな国々からやってきた平和村の子どもたちもまた、敬虔なるイスラム教徒。
イスラムの世界ではアッラーがすべてを創り出した(参照:http://www.aii-t.org/j/maqha/magazine/islamQA/index.htm)。
泣かれた彼をはげますため、
「あなたがお父さんや先生から習ってきたことがあるように、私も学校や両親に教わってきたことがあって、それらは違うね。けど、世の中にいろんな肌の色を持つ人がいるように、それぞの食べ物や言葉があるように、どうやって人間ができたかというお話も何通りもあるんだね。今、あなたは怪我の治療のためにドイツへやってきてるけど、そもそもドイツとウズベキスタンが全く同じような国だったら、わざわざドイツに来ることもないよね。」
と、進化の話からは少しそれたけれど、宗教に関わらず、ヨーロッパ(=キリスト教)の国々があなたたちの国(=イスラム教)と手を取りあっているからこそ、ドイツで平和村に来る子どもたちの治療が可能で、元気になって故郷に帰れるんだということを、伝えたかったという、そんな一日となった。
このことを、Facebookでつぶやいたら、多くの反響を得た。
元小学校教員の友人の、「心のものさしがぐんぐん伸びる環境にいられるのは、大変だけど、幸せなことだね。」というコメントを読んで、彼のあの涙は辛さを表しているけど、その辛さはつまり幸せの一部でもあるんだ、彼の将来にはきっといい意味で残ってくれるだろうと感じられた。
「教育にショックは必要」というコメントをくれた、別の小学校教員。たしかに、何かを学ぶ時、大きな喜びや不快感、驚きを感じるほど、のちのち記憶に残るものだ。
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そんな泣いた彼、信じられないと困惑していた彼らにとって、私が安易に説明した「私規準」の話をしたことを少し反省するとともに、違っているということを共有できる子どもたちにそして大人になってもらいたいなと、心から願います。

2012/06/20

結婚しました (結婚式当日 その②)


【ご報告】
先日、平成24年6月1日、ドイツはバイエルン州フェ―ルドアーフィングという小さな町で挙式をしました。
この日は、親族、家族そしてミュンヘン在住の友人たち23人とともに過ごした忘れられない一日となりました。遠くからもお祝いのお言葉、本当にありがとうございました。

そんな一日をブログに綴っておきたいと思います。

結婚式当日 その①」のつづき
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会場は、シュターンベルグ湖に浮かぶローゼンインゼル(薔薇の島)。私たち2人と23名のゲストでいざ島へ。 船を操縦するのは、ウリ氏の仕事関係での個人的な知り合いの方にお願いしました。彼は、伝統衣装レーダーホーゼに身を包み登場。彼の所属する団体は、船の操縦から、島についてのガイドまで、この島の総合案内役を担っています。
バイエルン王国マクシミリアムⅡ世は、日帰り用の休養地にするためにこの島を買い取り、そこにカジノと呼ばれる小さなお城を築きました。
挙式会場はそのカジノの中の一室。




日帰り用なので当初は寝室も大きな台所も設計されていませんでした。今は展示物として、マクシミリアムⅡ世の息子で、ノイシュバンシュタイン城を建てたとして有名なルートヴィッヒⅡ世が使用していたとされる、ベッドが置かれています。残念ながら、私たちの結婚した6月1日はまだ数えられる程度のバラが咲いているだけでした。満開時には、このカジノの前のバラ園は鮮やかな赤紫や真っ赤に染まったバラで美しく彩られます。



挙式は午前9時。
私たちの挙式担当者であり立証人である、フェ―ルドアーフィング町戸籍課のロートダウシャーさんが笑顔でお出迎え。
彼女もまた伝統衣装ディアンデル(Dirndl)を着用していました。
 立証人=ディアンデル
 新郎=スーツ
 新婦=振袖
と、三人三様。
カジノ入口に、私たち2人を残し、ゲストは会場内へ。
入場曲に2人が選んだのは・・・ 久石譲さんの「Summer

挙式は45分間。
入場(Einzug)→ 立証人からの挨拶 → 指輪交換 (Ringwechsel) → 立証人からの詩の朗読 → 婚姻書の読み上げ → 新郎新婦と証人による署名 (Unterschreiben) → 婚姻成立 → 立会人(ゲスト)一人ひとりとの挨拶 (Gratulation) → 集合写真 → 終了



挙式の流れはだいたい上に記した内容ですが、今回は立証人との事前打ち合わせで、
私は一つ詩を読むので、誰かゲストで詩を読みたい人がいたら、ぜひ詠んでください
と言われており、私は父に頼むことにしました。
そこで、父がドイツに持ってきたものは、三句の俳句でした。実は、この日のために母が図書館に通って、三句を詠んだらしいのです。
俳句の内容は、普段は思っていることをすべて口にしない2人の気持ちがたくさん詰まった温かく、でも娘を遠くに嫁がせる切なさが伝わってくる俳句で、涙もろい私をさらに涙で目をいっぱいにさせるものでした。この三句は立証人に最初に言われたように、指輪交換の前と後、そして立証人からの詩の朗読の後に最後の句が詠まれることになりました。最初の二句は母が、そして最後の一句を父が朗読。

そして私たち2人と、私たちの立証人による署名の時間。
新郎側の証人は、この日のためにスペインからかけつけてくれた友人。
そして、私の証人は大切な妹にお願いしていました。
彼女にとっては初めてのドイツ、初めての人たちばかりの中で、最後は堂々と漢字でサインをしてくれました。署名する彼女の姿をみただけで、感激してした私はまたうるうると涙を流す始末。

こうして、サインが揃い婚姻が成立したことをロートダウシャーさんが宣言をする。
その後は、「Gratulation」といい、会場のゲスト一人ひとりと握手や肩を抱き合って祝福していただいた時間をもちました。
「Gratulation」にて。

この時もすでに、涙で化粧が若干とれてしまっていたけど、そんなことはお構いなしで、一人ひとりに挨拶をしていきました。
足が悪く、最近まで保養地でリハビリを一生懸命していた私のドイツでの祖母、留学時代に一人言葉もろくにできずに小学校教育の授業であたふたしていた私を気にかけてくれていた友人、私たちの結婚指輪を制作してくれ、当日は朝からカメラマンのアシスタントとして協力してくれた友人、ケルンの家族や日本から代表で駆けつけてくれた父・母・妹、本当に感謝するばかりです。
この「Gratulation」の時間がゆっくりとれたのも、薔薇の島での挙式は一日に数組しか受け付けていない、しかも島には船で渡らないといけないという条件があるからかもしれません。

挙式のあとはシャンパンで乾杯!つづく

2012/06/12

結婚しました (結婚式当日 その①)

【ご報告】
先日、平成24年6月1日、ドイツはバイエルン州フェ―ルドアーフィングという小さな町で挙式をしました。
この日は、親族、家族そしてミュンヘン在住の友人たち23人とともに過ごした忘れられない一日となりました。遠くからもお祝いのお言葉、本当にありがとうございました。

そんな一日をブログに綴っておきたいと思います。

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2012年6月1日 眠たい目をこすりながら、早朝4時半起床。
外は、雨。

2週間前から、毎日チェックしていた天気予報は、お利口さんに変わらず「降水確率80%の雨マーク」。

人生で一度きりなのに

と連日泣き言をいう私に、母は「『雨降って地固まる』じゃない。天候なんかに気持ちが左右されてたらダメよ。」と。

自然はどうしたって変えられないんだから、と起床後はすんなり身支度。

着物を着るときは、いつも美容師に髪をセットしてもらっていました。
自分の成人式も、卒業式も、そして姉の結婚式でも。

けれど、今回は自分でするしかない。

そんな器用な方じゃないのに・・・写真に残るのに・・・とか始めはあれこれ文句を考えたりもしたけど、こんなバイエルンの田舎町に日本人の美容師さんはいないし、やっぱり自分でするしかない!

この日にむけて、約一ヶ月前の4月30日、平和村で一緒に研修をしていた、ふぉーじー氏と近くにあるスタバで3時間ぐらいネットで「どの髪型にしよっか」と決めた事が、昨日のことのように思い出されてなつかしい。私と同い年のふぉーじーは、私のもってない部分をたくさん持っていて、とくに「おしゃれ」について、色々と学ばせてもらいました。周りにこういうふうに助けてくれる人がいて、ほんと感謝です。
そんなおしゃれさん、ふぉーじーも認めてくれた髪型を、一ヶ月前から数度練習。

そんなふぉーじーとの花嫁に向けてプロジェクトを思い出しながら、ヘアメイクスタート。
眠っている妹を起こし、「こんなんでいいかなぁ?」「ここへんじゃない?」と聞きつつ、なんとか完成。英和村仲間あきちゃんとネットで見つけたかわいい髪飾り(※)で華やかさを。
(※) 和花ドットコム  http://wa-hana.com/

挙式最後のゲストとの歓談中。和花の髪飾り

ヘアメイクが決まったところで、化粧。
普段あまり化粧をしない私が、結婚式の化粧も自ら担当。
危なっかしいとだれもが思う中(?)、無事に終了。
ここでも、妹に色々質問しつつ、無事にアイラインも引く。

朝6時半、いよいよ着付け。
着付けはさすがに自分ではできません。
30数年前に着付けを習っていた母に無理を言って、お願いしました。
当初、母自身も「振袖の着付けはしたことないし、帯も太鼓結びしかできないわ。それでもいいなら」なんて弱腰だったけど、当日は見事な着付けを披露してくれました。さすが母(涙)。
実はここに至るまで、いろんな人が母に協力をしたとか。
30数年ぶりに通った着付け教室、そしてその先生。着付けの練習相手になってくれた妹、そして父!!!(ってことは父があの着物を????!!!笑)
本当にみなさん、ありがとう!



朝7時45分。ホテルのロビーでみな一同会す。
それでは出発!
ホテルの外に出てみると、サプライズで私たち専用のウェディングカー(Old Timer)が。
ドイツでは、花嫁花婿がのる車に白いリボンをつけ、挙式会場まで走ります。その車、ウェディングカーが結構重要な役割をするのですが、私たちは「別に、特別にレンタルしなくてもいいよね~。」とのんきで、お姉さんたちのVolvoを借りる気まんまんでした。

ところが、ウリのお母さん&お姉さんが私たちに秘密で1950年代の古い車を用意してくれていたのです。

すごく古い!けど素敵な車で挙式会場へ。



つづく