日本で、「平和村」ってという団体のことを聞いたことある人はどれぐらいいるだろうか。
ドイツ語では Friedensdorf International (国際平和村)が正式名称で、日本では「ドイツ国際平和村」や「ドイツ平和村」など、通称で呼ばれている。
その平和村とはなにか。
ドイツはノルトライン・ヴェストファーレン(NRW)州オーバーハウゼン市にある、市民による国際協力団体(NGO)・非営利団体(NPO)である。
元気になって帰国を控えたアフガニスタンの子どもたち 写真:ドイツ国際平和村提供 |
このドイツでの子どもたちへの医療活動の他、現地パートナー団体との協力プロジェクトや平和教育活動も行っている。
日本では、90年代半ばにNHKが取り上げ、その後『世界ウルルン滞在記』(MBS)でリポーターとして東ちずるが紹介したことで多くの人に知られるようになった。
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研修期間中、平和村日本語ホームページの【平和村の歴史】編集の手伝いをしたので、ここでも簡単に平和村の誕生と将来像を紹介します。
(平和村ホームページより一部抜粋、修正https://www.friedensdorf.de/About-Us-174-History-180.html)
【平和村誕生】
1967年、朝鮮半島や中東、ベトナムなど世界各地で戦争が続く中、イスラエルとエジプト、ヨルダン、シリアとの間で六日間戦争(第3次中東戦争)勃
発した。テレビに映る子どもたちの悲惨な状況に、当時のオーバーハウゼン市民は心を突き動かされ、そうした市民たちから"Aktion
Friedensdorf
e.V."(ドイツ国際平和村)のアイディアが生まれる。1967年7月6日、当団体は、オーバーハウゼン市当局によって慈善事業を目的とする登録団体
(E.V.)として認定された。
平和村の誕生には多くの人々が関わっている。Hüttenwerke Oberhausen
AG(オーバーハウゼンの精鉄会社)は、オーバーハウゼン市シュマハテンドルフにある土地を平和村の活動場所として提供し、Babcock社(製造会社)
は、経理処理を担った。そして、集まった寄付金によって子どもたちの宿泊施設建設のための資材を購入することができた。数えきれないほどのボランティアの
力によって、全てが整えられ、またそこには、世界中からやってきた若者たちや、当時ドイツに駐在していたイギリス軍、連邦国防軍、警察機動隊の隊員たちの
協力もあった。
1967年末、平和村の最初の施設、完成 → 同年12月、ベトナムから第一号となる子どもたちが渡独。
【二度と起こってはいけないこと】
1975
年、状況は一転する。4月30日、約10年間続いたベトナム戦争は終結し、ベトナムについに平和が訪れた。しかしそれはドイツ国際平和村にとって危機で
あった。当時、ドイツ国際平和村の支援によってドイツに滞在中の120人のベトナムの子どもたちが故郷に帰ることができなくなってしまったのだ。戦争終結後のベトナムにおける新たな政治体制によって、彼らの帰国の途は断たれてしまった。
そこで平和村は、ドイツ国内に残された子どもたちにそのままドイツで生活を送らせるという苦渋の決断をする。
「ベ トナムがもう彼らの故郷ではなくなること。たとえ今は変わってしまっていたとしても、かつての美しい故郷の写真を見ては、郷愁の想いを抱きながらこの寒い ドイツで暮らし続けること。私たちはそんなことを子どもたちに願ったわけではありませんでした。」
長年にわたり平和村で活動し代表を務めた、今は亡きゲー ゲンフルトナーはこう当時を振り返った。
「ベ トナムがもう彼らの故郷ではなくなること。たとえ今は変わってしまっていたとしても、かつての美しい故郷の写真を見ては、郷愁の想いを抱きながらこの寒い ドイツで暮らし続けること。私たちはそんなことを子どもたちに願ったわけではありませんでした。」
長年にわたり平和村で活動し代表を務めた、今は亡きゲー ゲンフルトナーはこう当時を振り返った。
【将来】
「我々の目指すゴールは、いつか戦争がなくなり、我々がこうして行っている活動が必要なくなることです。」(ロナルド・ゲーゲンフルトナー元代表)
し
かしながら、現在の世界情勢を見ると、このゴールがまたさらに遠のいてしまっていることは明らかである。アフガニスタンの情勢は今なお不安定で、イラク、
アフリカなど多くの場所で紛争やテロがやむことはない(そして2012年はとりわけシリアでの内戦が激化している)。地球上で数え切れないほどの人々の生命が暴力によって失われている。そして、想像しがたいほど過酷
な苦しみに耐えなければならず、暴力と困窮の中で生活を送る子どもたちが無数にいることも現実だ。
私たちの想いは、常にそうした子どもたちへと向いている。「雨垂れ石を穿(うが)つ」というように、微力でも根気強く活動を続け、子どもたちに未来と希望を届けたい。
私たちは、独立した一団体として、政権や政党、宗教といった枠を越えて活動に取り組んできました。だからこそ成し遂げられたこともあります。そしてその姿勢は今後も変わることはありません。
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