2012/02/15

第64回 アフガン+周辺国 援助飛行

Ruhrpott(ルアポット)の昼下がり、お休みなのでショッピングモールへ行ってみる。
久しぶりのお出かけ。
このショッピングモール【Centro】は、ドイツ国内に12ある大型商業施設のうちの一つ。
そんな大きなモールにバレンタインデーの午後にやってきた。
にも関わらず、何かがおかしい。

そうだ!バレンタインの飾り、宣伝、広告がない。
よく見てみると、本屋の一角に、服屋の一部にバレンタインコーナーが、あまり主張されずにきれいに設置されていた。

チョコレートを贈るという風習がないドイツでは、男性から女性に花を贈るのが一般的。
花屋業界の今年の売り上げはどうだったのでしょーか?

---------------------------------------------------------------------

明日から第64回のアフガン&周辺国の援助飛行がある。


【平和村の子どもたちはよく国旗を描きます。
左から、アルメニア、グルジア、アンゴラ、日本、ドイツ
アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン】
平和村が年に4回行っている援助飛行とは、ドイツで元気になった子どもたちを母国(アンゴラ、アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、グルジア、アルメニア)へと医療支援物資とともに送り届け、逆にドイツでの治療を必要とする子どもたちを家族のもとからドイツへ連れて来る活動をさす。

平和村での研修を始めて以来、今回で3回目の援助飛行。

2月14日、昼食後、子どもたちが毎食事をとる大きな食堂にて、帰国する子どもたちの名前が読み上げられた。これは渡航の一日前に行われる恒例行事で、平和村の子どもたちも2、3日前からこの日が来ることを待ちわびている。

「ついに家族に会える、友達といっしょに遊べる、学校へ行ける」
頭に浮かんでくる楽しみが、現実になる日が近づいている。

一方で、名前を読み上げてもらえず、少なくともあと半年は 
【じゅうたんで交通ごっこ】
ドイツに残り治療を続ける必要がある子どもたちもいる。たいていの子どもは、事前に担当医との話の中で、そして手術の状況などから判断して、自分自身で帰国の可否を把握している。とは言ってもつい、名前が読み上げられる場で、隣の席の子が机をたたきながら帰国を喜んでいる姿を見ると、やはり羨ましさや寂しさがこみ上げて来るのだろう。涙を目に浮かべている。

それ以上に、泣き崩れてしまう子どもの中には、直前まで何の問題もなく帰国する子どものリストに名前があり、担当医からも帰国許可のお墨付きをもらっていたにも関わらず、直前になって容態が急変したり悪化したりし、ドイツに残ることを、援助飛行のたった一日前に知らされる子どもたちもいる。

私が担当する「大きな男の子」の中には、今回このような経緯で辛い思いをした子どもが一人いた。呼ばれるはずの自分の名前が読み上げられず、始めは険しい顔をして涙を堪えていた彼も、眼を真っ赤にさせて思いっきり泣いた。
けれど、数日後には新しい子どもたちもやってくる。半年もしくはそれ以上の期間を平和村で過ごした子どもは先輩として、多くのことを教えなければならないし、スタッフとの間にはいり通訳業だってこなさなければならない。半年後、彼は元気な体とともに、きっと今より強い心で帰国することになるんだろうな。頑張れ、マヌチェ!

ところで、前回のアンゴラ援助飛行のとき(ブログ 2012年11月2日分参照)とは違い、今回は子どもたちとの別れを、さびしくそして辛く感じている自分がいることに気付く。

今回帰る子どもたちのうちの半分は、私がドイツに来る前から、平和村やドイツの病院で過ごしていた子どもたち。そしてもう半分の子どもたちは、私の研修2ヶ月目にドイツにやってきた子どもたち。彼らをドイツ滞在当初から知り、日々ともに過ごしてきたので、思い入れがあるのかもしれない。

ドイツに来たばかりの頃は、子どもたちは全く言葉がわからず、スタッフとのコミュニケーションも思うようにいかず、私自身イライラしているときもあった。うまく言葉でのやりとりができないからこそ、注意するときについつい大声をはりあげてしまう。けれど、本当に少しずつではあるが、お互い信頼関係を築くうちに、結局は言葉を超えたもので人間関係はつくられると実感した。

平和村には下は1歳、上は16歳(時には18歳)の子どもたちが生活するため、年齢により子どもたちを各宿舎にわけ、働くスタッフも別れている。

渡独以前、私は就学前くらいまでの小さい子どもの面倒をみると勝手に想像していた。けれど、来てみたら「大きな男の子」と担当することになり、なぜか戸惑いを感じたのを覚えている。
実際に、病気や怪我をもつ子どもたちの日常により添い、一緒に遊び学び、お世話をするにあたり、難しい年頃でもある「大きな男の子たち」の担当になれて心からよかったと思える。
言葉で何も伝えられないと悩むこともある。けれど、時間をかけてじっくりお互いを理解し合い、納得できる関係になれるんだと、今回の援助飛行を前に改めて感じた。

0 件のコメント:

コメントを投稿