2012/02/26

気合を入れて、Fasten!!!!

先週、ドイツ全土がにぎわったカーニバル。
日本語で謝肉祭と訳されているが、日本の節分のように厳しい冬の終わりをお祝いする意味もあらしい。

イスラム圏だったら断食のラマダン、キリスト圏ではその断食にあたる時期が、カーニバル後からイースター(復活祭)にかけての40日。

といっても、現代の世間一般の人たちが断食するわけではないけど、Fasten  Zeit(断食期)には、豪華な食事やお酒を控えようとつとめる人が多いとか。


ケルンのアウトドア専門店
地下にはカヌーやカヤック、ダイビングの
体験ができるプールも。

ということで、私も、目標を。
① 腹八分目でやめる。
② お昼ごはんは、小さいほうのお皿に盛る(平和村では、毎昼食は村の食堂の温かい料理がいただける)。
③ ビールは最初の一本にとどめる。

そして、食事だけでなく、この際いっぱい動かすこと。
① ソーラン節を二日に一回はおどる→今度ドイツライオンズクラブの催しで踊ることになったので、その練習を。

② バスケをする!
  →本日、バスケットボールと空気入れを購入。
   中学以来の気合!




2012/02/19

第64回 アフガン+周辺国 援助飛行 ②

元気になった子どもが母国に帰り、村が静かだった3日間。
一時期、100人越えの男の子達の宿舎(ハウス)も、年齢別に二つに分かれ、今回の援助飛行では多くの子ども達が帰国したので、ハウスには39人しかおらず、同僚は「新しい子どもがくるまでは、休暇中みたいなもんよ」と冗談でいってた。

そんな日々もつかの間で、明日からまた忙しい毎日になりそうだな。

というのも、先ほど(18日22時)、アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、アルメニア、グルジアからの子ども達がドイツにやって来たからだ。
空港から救急車で直接病院に運ばれる子どもと、平和村に連れてこられる子どもがいる。

私は平和村に到着した子ども達を、ハウスに連れて行き、シャワーや食事の手伝いをした。
子どもは長旅の疲れと見知らぬ土地に降り立ったことで、不安そうな顔だった。
そして、以前から聞いていたことではあるが、異臭がした。病気や怪我の処置の関係で強く臭うこともあるが、これはその国独特のにおいなのかもしれない。

皮膚が溶け、生の肉がでているようた子どもがいた時に比べ、最近は「harmlos(被害や怪我が軽い)」だそうだ。

これはアフガニスタンで、戦争や紛争での空襲や爆弾などによる直接的な被害が少なくなったからかもしれない。ただ、病院や社会福祉施設などの社会資本(インフラ)がなかなか整備されていない、もしくは一般市民には高額であるがゆえに、外国に来なければならない整形外科や内科系の怪我/病気を患っている子どもが多い。それらの病院は、結局は大使館やNGOなど、先進国からやってきた外国人たちにしか行くことのできない場所であったりする。

やって来た子ども達の様子をみながら、アフガニスタンが復興/開発産業に負けず、本当に一般市民にとって暮らしやすい国になりますように、と願った。


2012/02/15

第64回 アフガン+周辺国 援助飛行

Ruhrpott(ルアポット)の昼下がり、お休みなのでショッピングモールへ行ってみる。
久しぶりのお出かけ。
このショッピングモール【Centro】は、ドイツ国内に12ある大型商業施設のうちの一つ。
そんな大きなモールにバレンタインデーの午後にやってきた。
にも関わらず、何かがおかしい。

そうだ!バレンタインの飾り、宣伝、広告がない。
よく見てみると、本屋の一角に、服屋の一部にバレンタインコーナーが、あまり主張されずにきれいに設置されていた。

チョコレートを贈るという風習がないドイツでは、男性から女性に花を贈るのが一般的。
花屋業界の今年の売り上げはどうだったのでしょーか?

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明日から第64回のアフガン&周辺国の援助飛行がある。


【平和村の子どもたちはよく国旗を描きます。
左から、アルメニア、グルジア、アンゴラ、日本、ドイツ
アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン】
平和村が年に4回行っている援助飛行とは、ドイツで元気になった子どもたちを母国(アンゴラ、アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、グルジア、アルメニア)へと医療支援物資とともに送り届け、逆にドイツでの治療を必要とする子どもたちを家族のもとからドイツへ連れて来る活動をさす。

平和村での研修を始めて以来、今回で3回目の援助飛行。

2月14日、昼食後、子どもたちが毎食事をとる大きな食堂にて、帰国する子どもたちの名前が読み上げられた。これは渡航の一日前に行われる恒例行事で、平和村の子どもたちも2、3日前からこの日が来ることを待ちわびている。

「ついに家族に会える、友達といっしょに遊べる、学校へ行ける」
頭に浮かんでくる楽しみが、現実になる日が近づいている。

一方で、名前を読み上げてもらえず、少なくともあと半年は 
【じゅうたんで交通ごっこ】
ドイツに残り治療を続ける必要がある子どもたちもいる。たいていの子どもは、事前に担当医との話の中で、そして手術の状況などから判断して、自分自身で帰国の可否を把握している。とは言ってもつい、名前が読み上げられる場で、隣の席の子が机をたたきながら帰国を喜んでいる姿を見ると、やはり羨ましさや寂しさがこみ上げて来るのだろう。涙を目に浮かべている。

それ以上に、泣き崩れてしまう子どもの中には、直前まで何の問題もなく帰国する子どものリストに名前があり、担当医からも帰国許可のお墨付きをもらっていたにも関わらず、直前になって容態が急変したり悪化したりし、ドイツに残ることを、援助飛行のたった一日前に知らされる子どもたちもいる。

私が担当する「大きな男の子」の中には、今回このような経緯で辛い思いをした子どもが一人いた。呼ばれるはずの自分の名前が読み上げられず、始めは険しい顔をして涙を堪えていた彼も、眼を真っ赤にさせて思いっきり泣いた。
けれど、数日後には新しい子どもたちもやってくる。半年もしくはそれ以上の期間を平和村で過ごした子どもは先輩として、多くのことを教えなければならないし、スタッフとの間にはいり通訳業だってこなさなければならない。半年後、彼は元気な体とともに、きっと今より強い心で帰国することになるんだろうな。頑張れ、マヌチェ!

ところで、前回のアンゴラ援助飛行のとき(ブログ 2012年11月2日分参照)とは違い、今回は子どもたちとの別れを、さびしくそして辛く感じている自分がいることに気付く。

今回帰る子どもたちのうちの半分は、私がドイツに来る前から、平和村やドイツの病院で過ごしていた子どもたち。そしてもう半分の子どもたちは、私の研修2ヶ月目にドイツにやってきた子どもたち。彼らをドイツ滞在当初から知り、日々ともに過ごしてきたので、思い入れがあるのかもしれない。

ドイツに来たばかりの頃は、子どもたちは全く言葉がわからず、スタッフとのコミュニケーションも思うようにいかず、私自身イライラしているときもあった。うまく言葉でのやりとりができないからこそ、注意するときについつい大声をはりあげてしまう。けれど、本当に少しずつではあるが、お互い信頼関係を築くうちに、結局は言葉を超えたもので人間関係はつくられると実感した。

平和村には下は1歳、上は16歳(時には18歳)の子どもたちが生活するため、年齢により子どもたちを各宿舎にわけ、働くスタッフも別れている。

渡独以前、私は就学前くらいまでの小さい子どもの面倒をみると勝手に想像していた。けれど、来てみたら「大きな男の子」と担当することになり、なぜか戸惑いを感じたのを覚えている。
実際に、病気や怪我をもつ子どもたちの日常により添い、一緒に遊び学び、お世話をするにあたり、難しい年頃でもある「大きな男の子たち」の担当になれて心からよかったと思える。
言葉で何も伝えられないと悩むこともある。けれど、時間をかけてじっくりお互いを理解し合い、納得できる関係になれるんだと、今回の援助飛行を前に改めて感じた。

2012/02/07

異文化の壁

大抵のことは乗り越えられるし、少なくとも頭で理解できてるつもり。

今日ほど、文化/宗教の壁にぶち当たったことはない。

どう乗り越えたらいいんか、わからん。

イスラムの世界との壁とイスラムを理解しようとするドイツ人との壁。







2012/02/02

暖冬のドイツもついに

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暖冬の今年は、年明けから真冬とは思えない生ぬるい風が吹いていた。

FacebookやTwitterでの友人達のつぶやき多かったのは、今年は関東や関西地方、さらには福岡の方でも積雪し、本格的な「白い冬」だということ。

一方、ドイツはドイツらしからぬ暖冬。とくに私の住むルール地方は、気温もそこまで下がらず、今まで手袋なしでも、秋口から来ているジャケットだけでもへっちゃらだった。

そんな今シーズン、そこで終わらず、今週、北極からシベリアを通って寒く寒く凍りついた気団がついにドイツにやってきた。

冬至を越し、少しずつ日が長くなるのを感じる今日この頃だったが、2月に入り本格的に【冬】到来。ドイツの南に位置するミュンヘンはアルプスに近いため標高も高く、この気団によって1929年に-31,6度を記録して以来の寒さになるだろうと予測されている。

さて、この突如訪れた大寒波で、ようやく冬らしさを感じ、嬉しくなる人もいるかもしれないが、平和村にとっては少々厄介なこととなった。

というのも、明日2月3日、日本の節分の日に、平和村はデュイスブルクにあるサルヴァトール教会でチャリティーコンサートを予定してたが、急遽コンサートが延期(もしくは中止)の事態に。
理由は、「今週の大寒波の中、暖房のない教会内でコンサートを挙行するのは、楽器に悪い」という指揮者からの御達しがあったかららしい。

暖かくなってから、平和村チャリティーコンサートが無事おこなわれることを祈りますm(_ _)m





[ Salvadorkirche in Duisburg ]